2017/04/30(日)マリーンズドキュメント

第7話 絶対に失わないもの

「一軍の戦力になるために自主トレからずっとやってきました。まずは一軍に呼ばれないと何もできないので、そこを目標にしています。割って入るチャンスはあると思うので、自分のやれることをしっかりとやりたいです」

 今年こそはチームに貢献したい。肘井竜蔵は固い決意をもって2017年を迎えた。
 春季キャンプは一軍メンバーに名を連ねて充実の日々を送った。紅白戦ではヘッドスライディングで三塁打をもぎ取るなど意地を見せた。いよいよパ・リーグ開幕が目前に迫った3月下旬。左わき腹痛に見舞われたのは、その頃のことだった。二軍の非公式試合の練習時、スローイングをした瞬間に違和感を覚えた。しばらく試合には出られなくなり、登板予定のない若手投手たちに混ざって試合を眺めることもあった。その表情は、傍から見ても暗い影を落としていたように思えた。
 一歩ずつ復帰への階段を上がり、ケガから2週間ほどが経過した頃にトレーニングを開始した。
着々と取り組む範囲を広げて、4月28日の北海道日本ハム戦(ロッテ浦和球場)で実戦復帰を果たすと、表情はいつもの明るさを取り戻した。

「ケガをして残念な気持ちはありましたけど、なってしまったことは仕方ない。(シーズンは先が長いので)逆にこの時期でよかったなと思っています」

 プロになってからの3年間は大きな転機の連続だった。
 2014年に肘井は育成契約で入団した。当時のポジションは捕手で、背番号は『122』だった。
チーム唯一の育成選手は、毎日遅くまで居残り練習に励んだ。試合後に浦和球場のブルペンでブロッキング練習をする光景はお馴染みとなり、肘井の周囲をたちまち白球が埋め尽くしていった。シーズン途中からは外野守備も始め、育成選手ながら招集された秋季キャンプでは、期待に応えようと躍起になった。
 2015年は最高の知らせとともに幕を開けた。春季キャンプで打撃をアピールし、3月に念願の支配下登録を勝ち取った。新背番号『69』のユニフォームを手にした記者会見では「ここからが勝負。打撃を中心に必死にアピールしていきたい」と意気込んだが、その顔から終始こぼれる笑みは隠しきれなかった。背番号変更後の初打席で放った安打を皮切りに、オープン戦で積極果敢なアピールを続けた結果、開幕一軍の切符までも掴んでみせた。一軍という舞台の華やかさと、これまでにない緊迫感を初めて味わい、ずっとここで戦いたいと思った。しかし、大きなアクシデントに見舞われたのは、その秋のことだった。二軍の試合で顔面に死球を受けて緊急搬送。診断結果は鼻骨と篩骨(しこつ)の骨折。突如、野球から切り離される日々を強いられた。
 翌年、2016年の春季キャンプ終盤には「恐怖心があるのか未知数の状態だったけれど、野球ができたこと自体が収穫でした」と話した。復帰後は植えつけられた恐怖心を克服すべく実戦に挑み続け、シーズン中盤には違和感なく打席に立つことができるようになった。この年から、守備位置登録は正式に捕手から外野手に変更となった。

「プロになりたての頃は、こんな世界でやっていけるのかな……というレベルだったので、一日一日、自分ができることを増やしていって、なんとか皆に食らいつこうと必死でした。それは今でも変わっていません。(死球を受けた)あの時期は、野球以前に私生活もままならなかったので苦しかったです。でも、いろんな人が声を掛けてくれて、病室にも来てくれて、本当に助けられました。落ち込んでも時間は進んでいくし、戻ってこない。それなら切り替えて、割り切らないと仕方がないと思うんです。僕らは試合で挽回するチャンスがあるので、落ち込んでいる暇はないですね」

 今年プロ4年目を迎える21歳は、何度も目の前に立ちはだかる壁を乗り越えてきた。逃げ出そうともせず、抜け道を探すこともなく、ひたすら真正面から立ち向かってきた。

「野球ができることはありがたいですし、うれしいです。プロになってからは野球が仕事になったので一日一日が必死ですけど、元々は好きで始めたこと。野球が好きだということはずっと変わりません。その気持ちがないと、続けられないですしね」

 野球をしていたからこその試練もあった。でも、どんな困難もすべてひっくるめて、「野球が好きだ」と屈託ない笑顔で言い切る。その選手の存在はグラウンドを照らすように周囲を巻き込み、チームを明るい方向へと導いていく。そんな希望を感じさせてくれる。

長谷川美帆(千葉ロッテマリーンズ オフィシャルライター)=文 text by Miho Hasegawa