

千葉ロッテマリーンズに新監督が誕生した。
ロッテに入団し、育ち、ロッテで引退し、ロッテでコーチをし、バレンタイン監督の下、6年間、ヘッドコーチを務め、辿り着いた指揮官の座。
ユニホームを一度も脱ぐことなく、28年目での就任。ロッテ一筋の西村新監督は就任記者会見の席上でフラッシュの嵐をうけると少し照れくさそうに笑った。
「誰よりもロッテを愛していると思っている。目指すは常勝軍団を作り上げること」若き指揮官は力強く語った。
背番号はコーチ時代の「78」のまま。球団からは変更の提案もされたが、あえて断った。
「この番号には愛着がある。現役を引退してコーチになった時にいくつか番号を提示された。その中でパッと目に入ったのがこの番号だった。自分に相応しいと思った」
「78」。すなわち、七転び八起き。人生は失敗の方が多い。それでもなにくそと奮起して立ち上がって前へと進んでいきたい。そんな思いがこの背番号には込められている。
この日、誕生した西村マリーンズ。栄光への道のりは決して平坦ではないはずだ。山あり谷あり。大きな壁にぶち当たる時もあるだろう。そんな日々を広報の目から1年間かけて、追いかけていこうと思う。
だから、タイトルは「七転八起」。立ち上がって進んだ先には必ず輝かしい栄光が待っている。そう信じている。
(梶原)
8日に監督就任会見を無事に済ませ、9日には担当記者との懇親をかねた会見を千葉マリンスタジアムで行った後、千葉テレビのスタジオにて生出演。
コーチ時代にはそれほど多くなかったマスコミ対応も監督となればイッキに増え、多忙な日々を過ごしている。
「テレビの生出演なんて現役時代以来。慣れないことで本当に大変だよ。インタビューを受けているとき、ずっとドキドキする」
監督に就任してきょう10日で3日目。疲れからか自宅に帰るとすぐに寝てしまうという。それでもマスコミ対応の大切さはこれまで選手、コーチという立場から、いろいろな監督を見てきて、身に染みて理解しているつもりだ。
「ファンに自分の考えを伝えるためにもマスコミ対応はしっかりとしたいと思う。バレンタイン監督みたいに面白いことはなかなか言えないけど、自分なりに努力していきたい」
インタビュー後は「あれでよかったかな。あの答え方はちょっと違ったかな?」と立ち会った広報にアドバイスを求めるなど研究熱心。
今後はマスコミと定期的に懇親会を行うプランも持っており、少しずつマスコミ慣れをしていくつもりだ。
今日10日にはフェニックスリーグ視察のため宮崎入り。21日にはいよいよ秋季キャンプに向けて鹿児島に入る。
鹿児島は社会人時代を過ごした地元。就任が発表された日には地元新聞が一面記事で取り上げるなど、テレビ、新聞など多数のメディアが地元出身の新監督の登場を、首を長くして待っている。
新監督にとって当分は多忙な日々となるが、新しいチームの新しい魅力を知ってもらうため、西村新監督は積極的に対応していくつもりだ。
(梶原)
バレンタイン前監督が米国に帰国した。マスコミから西村新監督へのメッセージを求められるとこう口にした。
「個人的に西村さんにはお伝えしましたが、最高のものがこれから訪れることを願っています。彼ならば、つねに正しい決断、判断をしてくれると思う。素晴らしい選手たちもいるから、彼らをいい形で導いていただきたい。若い選手たちを彼なりのいい形で育てて欲しい。彼ならば千葉の球団をさらに素晴らしい球団にしてくれると思う」
6年間、ヘッドコーチとしてバレンタイン野球を見てきた西村監督。
アメリカ野球と日本野球の融合を体現して見せたその野球。それを身近で感じ取ることが出来たのは監督になった今、大きな財産となっている。
「近くでいろいろな経験をさせてもらった。それらを自分なりにもう一度、じっくりと思い返してみて、自分なりの考えとしてまとめて、自分の監督としての日々に役立たせていきたい」
多くの期待と注目を受けて初采配を奮うことになる2010年。そのプレッシャーは並大抵のものではないが、前監督から受けたアドバイスの数々と共に歩んだ日々は、長いシーズンの中で必ず生きるはずだ。
「最高のものがこれから訪れると願っている。アナタならそれが出来る」
バレンタイン前監督からシーズン最終戦となった楽天戦(仙台)で西村監督はそう声をかけられた。10月12日。千葉の空はよく晴れていた。
(梶原)
新監督はなかなかの晴れ男のようだ。
この日、行われたTEAM26向けのファン会報誌「TEAM26 MAGAZINE VOL3」(12月配布予定)のインタビュー。取材前までは千葉マリンを雲が覆い、小雨が降っていたが、西村監督がグラウンド入りするなり、ピタリと雨が止み、晴れ間が見えた。撮影を担当したカメラマンからも「監督は晴れ男のようですね」と感嘆の声が上がったほど、素晴らしいタイミングだった。
「いや、どうかな。自分の中ではそんな意識はあまりないけどなあ。」
監督本人はあまり晴れ男である自覚はないようだが、思い返せば8日の監督就任会見の日もタイミングよく晴れていた。夜から朝にかけては台風18号が上陸した影響で大荒れ。会見の開催自体も危ぶまれていたが、当日の昼前から快晴。会見が行われた時間帯は気持ちのいい天候となり、夕方には千葉マリン近くの浜辺から綺麗に富士山を見ることも出来た。これには至るところから「吉兆だ」との声が上がったほどだ。
「富士山か。それは確かに縁起がいいなあ。日本一の山だものなあ」
これを伝え聞くと、晴れ男であるかどうかの議論にはあまり興味がない西村監督も嬉しそうに笑った。新監督誕生の日に見た富士の山。確かになにかいい予感がする。
(梶原)
薩摩川内での秋季キャンプに向けて選手たちが羽田空港から空路、旅立った。若手、中堅を中心に参加するこのキャンプ。西村監督とコーチ陣は前日14日、千葉マリンスタジアムの監督室で簡単な打ち合わせと方向性を固めるミーティングを行った。
「いろいろな話をした。コーチの意見もあるし、試せることはどんどん試していけばいいと思う。野手はどんどん打てばいいし、投手も200球以上投げる選手も出てくると思う。成長した選手、頑張った選手はどんどん報告してもらいたい。フェニックスリーグで活躍した選手も含めて、来年の一軍キャンプに抜擢したい」
13日までは宮崎で行われているフェニックスリーグを視察。若手が必死にアピールする姿に目を細めた。
「これまでは一軍のコーチをしていたから、なかなか二軍の若い選手がプレーする姿を見ることがなかったが、面白い選手は沢山いた。来年のキャンプで抜擢したい。フェニックスリーグで活躍することで一軍のキャンプにいけるとなれば若い子たちもやる気が出ると思う」
その指針はすぐにフェニックスリーグに参加している選手を集め、監督の口から伝えられた。するとやはり、若い選手達の目は輝いた。
「中堅の選手の刺激にもなるしね。若い子が出てくることでチームの層は厚くなる。秋は若い子が伸びる時期。フェニックスリーグからキャンプと大変だと思うけど頑張って欲しいよね」
いよいよキャンプが始まる。西村マリーンズが始動する。西村監督は21日、鹿児島・鴨池キャンプ参加選手と合流。宿舎でミーティングを行い、22日からユニホームを着てグラウンドに立つ。
(梶原)
監督のプレッシャーは並大抵のものではない。体重がガクッと落ちた。白髪が増えた。急に老けたというエピソードには事欠かない。
これから監督人生を歩む西村監督。きっと、多くのプレッシャーが襲いかかり、それを乗り越えていかなくてはいけないのであろう。
「現役時代からいろいろな監督を見てきたけど、相当なプレッシャーを感じているのだろうなあと思うことは沢山あった。
味方がチャンスの場面で点が入らなかった時とか、サヨナラ負けした時とかね。ベンチで監督の顔を見ると本当に辛そうだったね」
だからといってプレッシャーから逃れることは出来ない。こういう時に大事になるのはストレス解消法となるのであろう。新監督にとってその点はどうなのであろうか。
「ビールは好きだけど、反対に飲みすぎると体に悪いからね。
カラオケもめったにしない。温泉もあまり入るほうではないし、ストレス解消法ってなんだろうね。
でも、なにか見つけておかないときっと体が持たないだろうね」
ヘッドコーチとして、これまでも多くのプレッシャーと闘い、ストレスを溜めてきた。しかし、人に怒りをぶつけることは決してなかった。
そういう時は一人の時間になるまで我慢した。時には帰りの車中、一人運転しながら大声を上げることもあったという。
温厚な監督。そのスタイルはきっと変わることはないのであろう。ならば、なおさらである。ストレス解消をする手段が早く見つかることを願いたい。
(梶原)
鴨池キャンプ参加の15選手が鹿児島入り。夕方から宿舎にて全体ミーティングが行われた。監督就任後初めて選手の前に姿を現した西村監督は静かに、しかし力強く語りだした。
「この秋にもう一度厳しく鍛え直そう。勝たないと面白くない。優勝しか考えていない」
監督就任記者会見で「常勝軍団を作る」と宣言をした監督は選手にも「優勝しか考えていない」と言い放った。その瞬間、選手の目は輝いたように見えた。
監督のスピーチが終わると先日発表された青山、金森両コーチが壇上に上がり、自己紹介。その後、監督から主将に任命された西岡の出番となった。
「キャプテンとして精一杯頑張ります。みんな一丸となって監督を胴上げしましょう」
若さ溢れるスピーチだった。選手達から自然発生的に拍手が沸き起こった。西村監督もその光景に嬉しそうな笑顔を作った。
明日22日、いよいよ西村監督が監督として初めてユニホームに袖を通し、グラウンドに立つ。午前9時20分から歓迎セレモニーが県営鴨池球場で行われ、その後、アップがスタート。練習開始となる。
秋のキャンプは肉体面の再強化が最大のテーマ。下半身、瞬発力、体幹、心肺機能。走り込みを中心に、ここ数年にはなかった厳しいトレーニングメニューが用意されている。実戦形式の練習やピッチング、打撃に重点が置かれる春季キャンプとは違い地味な内容だが、この土台作りこそが来年の秋の結果に直結する。
ミーティング会場の窓からは桜島が見えた。雄大な景色が広がっていた。ここ、鹿児島の地で西村マリーンズが力強く第一歩を踏み出す。
(梶原)
午後3時過ぎ。鴨池で行われた秋季キャンプ初日のすべてのメニューが終了した。
誰もいなくなったグラウンドを後にし、帰りの車に乗り込んだ西村監督は座席に深く座り込むと、大きく息を吐いた。
「ふう、やっぱり疲れたなあ」
人前では口に出さないがやはり慣れない監督業は、これまでと比べてはるか疲れが溜まるのであろう。その顔からも疲労の色がうかがえた。
この日はスケジュールがハード。朝の歓迎セレモニーをこなすと練習を見ながら一人一人の選手に話かけ、コミュニケーションを取っていた。そのわずかな時間を縫って、様々な部署のスタッフから報告、そして判断を仰ぐべく打ち合わせが行われた。
社会人時代を過ごした第2の故郷ということで面会希望者も多数。地元マスコミも沢山集まり、それらの取材を丁寧にこなした。
今まではコーチとして担当部署の仕事に専念すればよかったが、監督となると野球以外も含めて、あらゆる方面に神経を使わなくてはならない。監督初日はやはり疲れたのだと思う。
しかし、これで一日が終わらないのが監督業。車の中でもひっきりなしに電話が鳴った。宿舎に戻ると、すぐにミーティング。さらに面会をこなし、夕方からはスーツに着替え、地元テレビ局のニュース番組にスタジオ生出演をした。
「きょうは明日に備えて、ちょっと早めに寝ようかな。明日も忙しいからね」
ホテルに戻ると、そう口にして自室に引き上げた西村監督。溜まる疲労。しかし、その中で感じるやり甲斐と充実感。新監督の表情は疲れを吹き飛ばすかのように、キラキラと輝いていた。
(梶原)
秋季キャンプ最初の休日となった25日。しかし、やはり、西村監督は忙しかった。
午前中は宿舎にて鹿児島市議会の表敬訪問を受けた。そして、終わるや担当記者と昼食会。夕方からは車で片道1時間かけて薩摩川内市主催で行われた歓迎パーティーに参加した。もちろん、その間も携帯電話は鳴りっぱなしである。
「なかなか休めないよね。でも、それは仕方がない。歓迎していただいているのは幸せな事だからね。暇より、ずっといい」
パーティーの帰りはすっかり夜が更けていた。真っ暗な山道を越えて、鹿児島市内へと向かう中、疲れはピークであっただろうが眠りにつくことはなかった。その間も野球談義。チームをどうするか、どうすべきか。選手個人の事。チームスタッフの事。現役時代から周りへの気配りを大切にしてきた人だけに細かい点までいろいろと目が行き届いている。それゆえ、考えることも多いのであろう。
「疲れているのだけど、あまり夜も寝ていないよね。いろいろな事を考えてしまう。3時ぐらいに一度、目が覚めてしまうよね。朝まで寝たのは一度ぐらいかな」
ハードスケジュールに加え、頭の中も24時間、思考が止まっていない状態。寝ている間もグラウンドにいる夢を見るという。やること、やりたい事が山積みなのである。監督のそばにいて、体調が心配になってしまうほどだ。
しかし、それもまた杞憂のようだ。
本日26日は朝から鹿児島市役所を訪問。その後も地元メディアや地元企業を表敬訪問し、その後、練習に合流。終わって雑誌(週刊ベースボール)の取材を受けて、夕方からは地元テレビのニュース番組に生出演。それでも疲れは見せず、表面上はケロッとしている。監督とは健康であること。そして体力が大事。過去、多くの監督と接してきたがこれは全員に共通している事だ。
(梶原)
鹿児島鉄道管理局時代の恩師・米盛司郎氏(68)が激励に訪れた。秋季キャンプが行われている県営鴨池球場は当時、メイン練習や試合が行われていたホームグランド。師弟は思い出の地にて笑顔で再会をした。
「小さい体でよく頑張ったよ。本当によく監督になったと思う。そんな彼がこの地から監督人生をスタートさせる。人生というのは本当に不思議なものだね」
教え子がプロ野球の監督になるのは初の事。米盛氏はわが子を見守るような優しい視線をグラウンドで指揮を執る西村監督に送った。
「彼はこの球場でよくエラーをしたり、凡退をしたりした。スタンドから野次られたり、ミスをして先輩から頭から水をかけられたこともあったかな。それでも挫けず、プロに入って、結果を出して、ここまで来た。偉い子だよ」
現在、鹿児島鉄道管理局は国鉄の民営化に伴い、JR九州野球部に合併してしまった。当時のチームメートもそれと同時に九州の他の社会人チームに移籍するなど、バラバラになってしまっている。そんな中で、プロ野球の世界で活躍する西村監督は大きな存在であるようだ。
「みんな、バラバラになってしまったけど、彼がプロで活躍する姿を励みに、それぞれの人生を歩んでいる。そして、今度は監督。また励みになるよ」
当時の監督は新米監督の肩をポンと叩いて、激励をした。そしてお互い、嬉しそうに笑った。
「でもな、ニシ。これからだからな。頑張れよ。キミは頭がいい。きっと、いい結果が生まれる。西村徳文。監督に相応しい、いい名前じゃないか。だから大丈夫だ」
鹿児島県営鴨池球場。そこで汗を流し、時には悔し涙を流した。この地でスタートした監督人生。ドラフト5位でのプロ入りが決まった時、「努力は必ず誰か見てくれている。頑張れば、大丈夫」と後押ししてくれた恩師は、長い年月が立った今、また声をかけてくれた。「大丈夫。キミならやれる」と。
(梶原)
練習が終わると、大急ぎで散髪店に向かった。明日29日はドラフト会議。監督として初めて出席することになる。他球団の監督、球団首脳も顔をそろえるだけに、身だしなみをそろえておかなくてはいけないという考えと、運命の日を前に気持ちを入れ直したかったのであろう。本来なら東京の行きつけのお店に行きたかったが多忙なスケジュールゆえ、時間をやりくり出来ず、飛び込みでチーム宿舎近くのお店に入った。
「初めての店だったけど、なにも問題はなかったよ。元々、そんなに長くはなかったから、髪を整えてもらうぐらいだったし、サッパリしたね」
30分程度で髪を整えると、急ぎ、身支度をして鹿児島空港へ。空路、帰京となった。明日29日は休む間もなく、早めにドラフト会場入りしてスカウト陣の報告と意見を聞きながら、最終決定を行わなくてはいけない。
「ウチのスカウトは非常に優秀だから、信頼している。オレはなにもしなくてもいいだろう」
監督に就任してスカウト全員と顔を合わせるのはこれが初めて。久々に会えるのが嬉しくもあり、どのような逸材と出会えるのかが楽しみでもあるようだ。ワクワク感はこちらまで伝わってきた。
現役時代、共にプレーをしたこともある松本シニアスカウトは言う。
「あの監督は周りに気配りが出来る人。現役時代には本当にお世話になった。オレはあの人が大好き。あの人のために最高のドラフトにしたい。いい人材を現場に送り込めるようにする」
スカウトたちにとっては一年間の総決算ともいえる一日。そして初の西村チルドレンが誕生する日である。長い一日がまもなく始まる。
(梶原)
誰よりも早くドラフト会場に入った。そして誰よりも早く席についた。西村監督は珍しくソワソワしていた。落着きなくキョロキョロと周りを見渡していた。
「早く行っていた方がいいよな。挨拶周りした方がいいよね」
本来なら15分前に会場入りすればいいが、30分以上前に入場。他の監督達が入ってくるのを待っていた。
「ロッテの監督をさせていただくことになりました西村です。宜しくお願いします」
この日、ドラフト会議に参加していた9球団の監督に、それぞれ頭を下げた。中には年下の監督もいたが、深々と頭を下げた。礼を重んじる新監督。その実直な性格が垣間見えた。
会議が始まると、少し感慨深げな表情となった。初めて出席するドラフト会議。日本に12人しか存在しないプロ野球チームの監督になったことを改めてかみ締めた。
「自分も28年前、こういった場においてドラフト5位で指名を受けたのだなあと思った。その場にこうして時が経って、座れることは大変光栄な事。嬉しかった。なんか、本当にいろいろと考えてしまった」
会議が終わるとスカウト全員と「ご苦労様でした」と声をかけて握手を交わした。ドラフトでは4選手と育成選手1名を指名した。新聞記者にその満足度を聞かれると「100点満点です」と満面の笑みを見せた。
ちなみにこの日の某スポーツ紙には有名風水師のコメントが大きく紹介されていた。
「もっとも運気のある監督は西村監督」。同じような事は別のスポーツ紙にも掲載されていた。
もっとも運気のある監督が指名した選手たち。きっと千葉ロッテマリーンズを代表する選手に育ってくれるだろう。彼らがプレーする姿が早く見たい。若人たちに、幸せあれ。
(梶原)