70周年チャンピオンシリーズ
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SPECIAL COLUMNスペシャルコラム

2020.07.28 1950年『日本一』 パ・リーグの星オリオンズ、リーグ優勝に続いて初の日本シリーズを制覇

セ・リーグとパ・リーグの2リーグ制が導入された1950年。パ・リーグ創設の柱を務めた毎日オリオンズは、初年度必勝を期して、湯浅禎夫総監督と若林忠志監督兼投手の体制でリーグ戦に臨む。結果は、81勝34敗、7割4厘という驚異的な勝率で、2位の南海ホークスに15ゲームの差をつけて、パ・リーグの覇者となった。

この年セ・リーグを制したのは、小西得郎監督率いる松竹ロビンスだった。プロ野球日本一を争う初の日本シリーズ(1950年の第1回から1953年の第4回までは「日本ワールドシリーズ」と呼んでいた)は、毎日対松竹で行なわれることになったのだが、戦前の予想では、ともに打力のチームで打撃戦になることが予想され、四分六分で松竹が有利といわれた。

11月22日、神宮球場での第1戦。湯浅総監督は、荒巻淳投手の先発を想定していた松竹の裏をかく。

毎日の先発メンバーは、1番・三塁手の河内卓司、以下、右翼手・呉昌征、中堅手・別当薫、左翼手・戸倉勝城、捕手・士井垣武、二塁手・本堂保次、一塁手・片岡博国、遊撃手・今久留主淳、そして投手は、シーズン中に4勝しかあげていなかった42歳のベテラン若林忠志。

対する松竹の先発は、20勝をあげてセ・リーグの新人王に輝くと共に、勝率1位と防御率1位の三冠を獲得した大島信雄だった。

先取点をとったのは毎日で、2回の表に、四球の土井垣を片岡の中前打で本塁に迎え入れる。その後は投手戦となり、8回には別当の三塁打を活かせず、逆に松竹に1点を許して同点となる。延長12回の表、毎日は二死満塁で伊藤庄七の左前安打で2者が生還する。その裏に松竹は1点を返したが、反撃もそこまで。若林は12回を投げきり、161球、被安打7で、第1回日本シリーズの初戦を完投勝利で飾る。

続く第2戦は後楽園球場で行なわれた。毎日の先発は、18勝4敗でパ・リ—グの勝率1位投手になった野村武史。毎日は呉の本塁打などで初回に2点をとり、その後も中軸が確実に適時打を打って加点し、5対0とリードする。一方、投げては野村が、8回に1点を許しただけで、若林に続いて完投勝利をおさめる。

第3戦は、移動日の中1日をおいて甲子園球場で行なわれた。試合は点の取り合いとなり、6対7で松竹が勝利をおさめる。翌26日の西宮球場での第4戦も3対5で松竹が連勝。2勝2敗のタイとなる。

中日球場で行なわれた第5戦。毎日の先発は再び野村だったが、初回から1点ずつを取り合って1対1の同点。4回に松竹が1点をあげてリードしたが、毎日も7回に追いついて同点。9回に松竹の失策で決勝点をあげる。

毎日が3勝2敗でシリ—ズ優勝に王手をかけた第6戦は、28日に大阪球場で行なわれた。

先発の荒巻にシーズンの勢いが見られず、3点の先取点を許す。毎日は3回、呉、別当の二塁打や今久留主、伊藤の安打などで6点をあげ、さらに4回にも1点を加えて試合を有利に進める。

粘る松竹も、小刻みに加点して同点に追いつく。シリーズ2度目の延長戦となった11回、毎日は一塁に呉をおいて別当が中前安打を打つ。続く伊藤の三塁コロが二塁に送球されたとき、スライディングした別当と金山次郎二塁手が交錯して、金山が落球する。この間に呉が生還して、毎日が8対7で劇的なサヨナラ勝ちをおさめる。

試合時間は2時間41分。パ・リーグの星オリオンズが、初の日本一の栄冠を手に、暮れなずむ大阪球場に燦然と輝いたのだった…。

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