70周年チャンピオンシリーズ
70周年チャンピオンシリーズ

HISTORYヒストリー

2020年、球団設立70周年を迎えました。
一球に泣き、笑い、感動のドラマが詰まった70年の歴史。
パ・リーグが誕生した1950年からの歩みを振り返ります。

  • 1950
  • 1958
  • 1964
  • 1969
  • 1992
  • 1995
  • 2020
  • 1950
  • 1958
  • 1964
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1950

1950-1957毎日オリオンズ

1950

パ・リーグ初代王者、そして日本シリーズ初代王者に輝く

1950
1950
1951

戦力の均等化により、主力選手を他球団へ譲渡

1952

南海との熾烈な首位争いを演じるが、優勝を逃す。

1953

駐日米軍で元大リーガーのレオ・カイリー投手が、初の外国人選手として臨時契約する。

1954

山内和弘選手がパ・リーグ打点王に輝く。

1955

高卒新人の榎本喜八選手が打率.298・16本塁打・67打点という成績で新人王を獲得する。

1956

6月まで首位を走るも、オールスター以後は失速し4位に終わる。

1957

毎日と大映が合併し、大毎オリオンズが誕生する。

1957
1958

1958-1963大毎オリオンズ

1958

大阪の田宮謙次郎選手を獲得。田宮を加えた、榎本、山内、葛城の強力打線が完成する。

1959

強力打線が『ミサイル打線』と名が付く。リーグ戦は惜しくも2位に終わった。

1959
1960

『ミサイル打線』が本領発揮。10年ぶりのパ・リーグ優勝を果たす。

1960
1961

東京スタジアムの建設を発表。

1962

下町・南千住に東京スタジアムが完成。ホームスタジアムに。

1962
1963

山内和弘選手と阪神・小山正明投手との世紀の大トレードが実現する。

1964

1964-1968東京オリオンズ

1964

チーム名から企業名をなくした『東京オリオンズ』と改称する。

1964
1965

『長嶋二世』と騒がれた上尾高校の山崎裕之選手が入団。

1966

小山正明投手が58無四球試合の日本新記録(当時)を樹立する。

1967

榎本喜八選手が1828本安打のパ・リーグ新記録(当時)を樹立する。

1968

アルトマン選手、ロペス選手の外国人コンビが大活躍。3位Aクラス入りを果たす。

1969

1969-1991ロッテオリオンズ

1969

『ロッテ』オリオンズと改名。新たなスタートに有藤道世選手が新人王で花を添える。

1969
1969
1970

投打にかみ合ったオリオンズが、独走で10年ぶりのリーグ優勝を達成する。

1971

オリオンズ8ゲーム差を猛追。貯金34も阪急に一歩及ばず2位でリーグ戦を終える。

1972

アルトマン選手が5人目となる8試合連続打点のリーグ新記録(当時)を樹立。

1973

パ・リーグ前後期制を採用。金田正一新監督のもと、1年目から前期2位・後期2位という成績で優勝争い。

1974

金田ロッテ、プレーオフを制しリーグ優勝、日本シリーズでも中日を破り24年ぶりの日本一に輝く。

1974
1974
1974
1975

村田兆治投手が最優秀防御率と初のセーブ王に輝く。

1976

前期後期ともに優勝争いを演じる。

1977

3年ぶりに後期優勝も、プレーオフで阪急に敗れリーグ優勝を逃す。有藤道世選手が首位打者、レロン・リー選手が2冠。

1978

川崎球場を本拠地としスタート、球団通算2000勝を達成する。

1978
1979

オリオンズOBで「打撃の職人」と呼ばれた山内一弘氏が監督に就任。

1980

張本勲選手が史上初の3000本安打を達成する。新・ミサイル打線で前期優勝も、プレーオフで敗退。

1980
1980
1980
1981

落合博満選手が首位打者を獲得。前期優勝を果たすも再びプレーオフで敗退。

1982

落合博満選手が三冠王となる。

1982
1983

球団創設33年目にして初の最下位転落。2シーズン制が終わる。

1984

川崎球場初のナイターで28,000人の大観衆が集まり、満員御礼となる。

1985

落合博満選手が2度目の三冠王。村田兆治投手が復活、17勝をあげる活躍で日本中を感動に巻き込む。

1986

2年連続で三冠王の落合博満選手が1対4のトレードで中日へ。ミスター・ロッテ有藤道世選手が引退。

1987

有藤道世新監督でスタート。トレードで獲得した牛島和彦投手がセーブ王に。

1988

伝説のダブルヘッダー川崎球場、対近鉄戦『10.19』での激闘。

1989

村田兆治投手が通算200勝を達成し、防御率のトップにも輝く。

1989
1990

前年まで4年連続盗塁王の西村徳文選手が首位打者を獲得。

1991

シーズン最終戦で悲願の観客動員100万人を達成。千葉移転のため川崎球場はロッテの本拠地としての役目を終える。

1992

1992-1994千葉ロッテマリーンズ

1992

『千葉ロッテマリーンズ』としてスタート。本拠地は千葉へ。

1992
1992
1993

伊良部秀輝投手が西武・清原和博選手との対決で球速158kmの日本新記録。

1993
1994

西村徳文選手が通算350盗塁を達成する。

1995

1995-2019千葉ロッテマリーンズ

1995

バレンタイン監督が就任、10年ぶりのAクラス2位となる。

1995
1995
1996

球団創設以来の通算3000勝を達成。熱心なマリーンズファンの応援が注目を集めるようになる。

1997

球界で初めて日曜日だけの特別な帽子「サンデーキャップ」でプレイ。

1998

悪夢の18連敗。

1998
1999

対ダイエー戦でチーム新記録となる1イニング11得点を記録。

2000

小野晋吾投手が日曜日の先発登板で9連勝。『サンデー晋吾』の異名を取る。

2001

福浦和也選手が初の首位打者を獲得。

2001
2002

マリーンズファンに対して極めて異例の表彰となる「毎日スポーツ文化人賞」が贈られる。

2003

小林雅英投手が日本人最速の222試合で100セーブを達成。

2004

北海道日本ハムと最後までプレ-オフ出場を争ったが、勝率.500で4位が確定。プレーオフ出場を逃す。

2005

『ボビー・マジック』で31年ぶりの日本一。セ・パ交流戦やアジアシリーズ王者になるなど合計6冠を獲得するシーズンに。

2005
2005
2005
2006

マリーンズが千葉マリンスタジアムの指定管理者へ。交流戦2連覇を果たすもリーグ戦は4位に終わる。

2007

リーグ戦で2位となり、CSに進出するもリーグ優勝した北海道日本ハムに惜敗し日本シリーズ進出ならず。

2008

借金12から貯金3つを作るも、3位北海道日本ハムに僅か0.5ゲーム差及ばず、CS進出を逃す。

2009

福浦和也選手の通算1,500安打や井口資仁選手の日米通算200号本塁打など数々の記録が達成されたもののチームは低迷。

2010

リーグ3位から『史上最大の下克上』を成し遂げ、日本一に輝く。

2010
2010
2010
2010
2011

史上8球団目の球団通算4000勝を達成。

2012

毎日時代の1952年以来60年ぶりの開幕4連勝。

2013

井口資仁選手が日米通算2000本安打を達成。

2013
2014

荻野貴司選手がプロ野球初の初回先頭打者初球ランニング本塁打。

2015

クライマックスファイナルステージでホークスに敗れ、日本シリーズ進出ならず。

2016

千葉マリンスタジアムの新名称が12月1日より「ZOZOマリンスタジアム」に。

2017

引退する井口資仁選手が現役最終戦で劇的な同点本塁打を放つ。試合は延長12回、4対3で勝利。

2017
2018

福浦和也選手がプロ野球史上52人目、球団史上3人目の通算2000安打を達成する。

2018
2019

2019年シーズン限りで福浦和也選手が引退。

2019
2020

2020-千葉ロッテマリーンズ

2020

球団設立70周年を迎える。

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