1955年
「大毎オリオンズ」の誕生「ミサイル打線」で華のあるチームに
監督:別当薫
成績:3位(85勝55敗2分)
02.23 | イースタンリーグが結成される。 |
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03.20 | イースタンリーグ結成記念大会が開かれる。〈駒沢〉 |
09.03 | イースタンリーグが終了し初優勝を飾る。首位打者は佃明忠、最優秀投手に藪崎博志が選ばれる。 |
10.21 | 毎日新聞社の招きで、ニューヨーク・ヤンキースが来日する。 |
タイトル | 新人王:榎本喜八、最優秀防御率投手:中川隆、打点王:山内和弘 |
早稲田実業高校から伝説の強打者、打撃の職人と呼ばれた榎本喜八が入団、新人王に選ばれ以降打者の記録を次々と塗り替えてゆくことになります。
1956年
「大毎オリオンズ」の誕生「ミサイル打線」で華のあるチームに
監督:別当薫
成績:4位(84勝66敗4分)
06.27 | オールスターのファン投票で、山内和弘が両リーグ最多の20万2859票を獲得。 |
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10.08 | 山内和弘が47本の二塁打新記録を樹立する。〈対高橋22回戦、浦和〉 |
10.17 | ドジャースが来日する。 |
10.21 | 毎日新聞社の招きで、ニューヨーク・ヤンキースが来日する。 |
タイトル | 最優秀防御率投手:植村義信 |
山内和弘はこの年最多得票で3年連続ファン投票でオールスター出場、パ・リーグの顔として活躍、「賞品泥棒」「オールスター男」の名を欲しいままにしました。
1957年
「大毎オリオンズ」の誕生「ミサイル打線」で華のあるチームに
監督:別当薫
成績:3位(75勝52敗5分)
01.27 | 新設の大島舞網球場で、スプリングキャンプを開始する。 |
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02.26 | 臨時株主総会で、取締役社長に安部が選出される。 |
08.27 | 葛城隆雄がサイクルヒットを達成する〈対南海戦〉 |
11.24 | パ・リーグ6球団制に踏み切り、毎日と大映が合併する。 |
11.28 | 新球団オーナーに永田雅一が就任する。 |
12.03 | 毎日から32名、大映から15名のチーム新陣容を発表する。 |
12.18 | 球団のニックネーム「大毎オリオンズ」が承認される。 |
タイトル | 首位打者:山内和弘 |
パ・リーグでは「高橋ユニオンズ」と「大映スターズ」が合併しこの年は変則7球団に逆戻りし、ついにシーズンオフに「毎日オリオンズ」と合併した「大映ユニオンズ」が合併し名物オーナー大映の永田雅一氏が新球団「大毎オリオンズ」の新オーナーとなりました。
1958年
「大毎オリオンズ」の誕生「ミサイル打線」で華のあるチームに
監督:別当薫
成績:4位(62勝63敗5分)
01.15 | 新設の大島舞網球場で、スプリングキャンプを開始する。 |
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03.10 | 大毎球団が正式に発足。本社を東京・有楽町に移す。 |
03.28 | 6球団制記念トーナメントが西宮、大阪両球場で開催される。 |
10.21 | カージナルスが来日する。 |
タイトル | 打点王:葛城隆雄 |
1959年
「大毎オリオンズ」の誕生「ミサイル打線」で華のあるチームに
監督:別当薫
成績:2位(82勝48敗6分)
07.28 | オールスターで山内和弘が最優秀選手と首位打者を獲得する。 |
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11.07 | 別当薫が成績不振の責任をとって監督を辞任する。 |
11.26 | 西本幸雄ヘッドコーチが監督に昇格する。 |
タイトル | 本塁打王:山内和弘、打点王:葛城隆雄 |
前年セリーグで首位打者を獲得した田宮謙次郎が加入山内、榎本、田宮、葛城らで組む強力打線は「ミサイル打線」の称号を与えられ他球団の脅威の的となりました。