1960年
2度目のリーグ優勝、新球場建設と「東京オリオンズ」誕生
監督:西本幸雄
成績:優勝(82勝48敗3分)
04.16 | 義宮様が対南海戦を観戦される。〈後楽園〉 |
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06.29 | 18連勝のリーグ新記録を作る。〈対近鉄12回戦、川崎〉 |
07.17 | 皇太子ご夫妻が、対南海戦で初のプロ野球観戦をされる。 |
10.05 | 対西鉄25回戦に4-0で勝ち、10年ぶり2度目の優勝を果たす。〈平和台〉 |
11.18 | 重役会で毎日側役員が総退陣、大映が経営権を握る。 |
12.05 | 前国鉄の宇野光雄が監督に就任する。 |
12.17 | 杉下茂前中日監督が現役選手として入団する。 |
タイトル | 最優秀選手:山内和弘、首位打者:榎本喜八、最優秀勝率投手:小野正一、最優秀防御率投手:小野正一、最多勝利投手:小野正一、本塁打王:山内和弘、打点王:山内和弘 |
西本幸雄新監督のもとミサイル打線の爆発と左腕小野正一が33勝をあげる大活躍で見事2度目のリーグ優勝。日本シリーズでは圧倒的有利を伝えられながら、前年までライバル西鉄ライオンズの監督であった三原脩監督が率いる大洋ホエールズにまさかの4連敗を喫し敗退。西本監督の更迭をまねきました。
1961年
2度目のリーグ優勝、新球場建設と「東京オリオンズ」誕生
監督:宇野光雄
成績:4位(72勝66敗2分)
02.13 | イースタンリーグが再発足する。 |
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04.01 | 永田雅一オーナーが東京スタジアムの建設を発表する。 |
09.27 | 山内和弘が106打点のパ・リーグ新記録を樹立する。〈対阪急26回戦、後楽園〉 |
タイトル | 打点王:山内和弘 |
1962年
2度目のリーグ優勝、新球場建設と「東京オリオンズ」誕生
監督:宇野光雄
成績:4位(60勝70敗2分)
05.25 | 球団事務所を東京スタジアムに移す。 |
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06.02 | 東京スタジアム開場第1戦の対南海戦に勝ち、本拠地第1戦を飾る。 |
07.16 | オールスターのファン投票で、山内和弘が4年連続の両リーグ最多得票を獲得。 |
10.06 | 柳田利夫が5試合連続本塁打のリーグタイ記録を作る。〈対西鉄26回戦〉 |
10.18 | 毎日新聞社の招きでデトロイト・タイガースが来日する。 |
10.27 | 皇太子ご夫妻が、日米野球第1戦の対南海戦を東京スタジアムで観戦される。 |
荒川区南千住に大リーグのスタジアムをモデルとした東京スタジアムが完成、新本拠地として下町名物として親しまれ、「下町の太陽」「娯楽の殿堂」「下駄履きで通える球場」など様々な愛称で最新鋭の設備を誇ったスタジアムはファンに親しまれた。
1963年
2度目のリーグ優勝、新球場建設と「東京オリオンズ」誕生
監督:本堂保次
成績:5位(64勝85敗1分)
05.08 | 対東映3回戦で2回に震度3の地震があり、1分間ゲームが中断する。〈東京〉 |
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09.05 | 球団結成1000勝を達成する。〈対阪急23回戦、東京〉 |
12.26 | 山内和弘と阪神の小山正明との世紀の大トレードが実現する。 |
本堂新監督の誕生も5位に低迷、3年連続のBクラスとなる。
オフには現在でもプロ野球史上最も衝撃的なトレードとされ「世紀のトレード」といわれるオリオンズの4番打者山内和弘とタイガースのエース小山正明のトレードが発表された。
1964年
2度目のリーグ優勝、新球場建設と「東京オリオンズ」誕生
監督:本堂保次
成績:4位(77勝68敗5分)
01.13 | 球団のニックネームを「東京オリオンズ」と改める。 |
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01.25 | 単独チームによる第1回海外キャンプ(マウイ島)に出発する。 |
08.13 | 小山正明がプロ野球10人目の200勝を達成する。〈対南海27回戦、大阪〉 |
12.19 | パ・リーグ総裁に永田雅一会長が選出される。 |
タイトル | 最優秀防御率:妻島芳郎、最多勝利投手:小山正明 |
「世紀のトレード」と東京オリンピック開催のこの年、チーム名から企業名をなくした「東京オリオンズ」と改称し、東京スタジアムと相まって、ファンに親しまれるチームを目指しました。