1965年
着実なチームつくりの時期 ロッテオリオンズ誕生
監督:本堂保次・(濃人渉)
成績:5位(62勝74敗4分)
06.10 | 本堂保弥監督の休養で、濃人渉コーチが監督代行を務める。 |
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11.25 | 田丸仁2軍監督が1軍監督に就任する。 |
地元の修徳高校から成田文夫が入団、のちに「下町のエース」として大活躍することとなります。
また、長嶋二世と騒がれた上尾高校の山崎裕之も入団しました。
1966年
着実なチームつくりの時期 ロッテオリオンズ誕生
監督:田丸仁
成績:4位(61勝69敗4分)
06.17 | 小山正明が58無四球試合の日本新記録を樹立する。〈対西鉄11回戦〉 |
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09.11 | 榎本喜八が843四死球のパ・リーグ新記録を樹立する。〈対阪急27回戦〉 |
11.22 | 戸倉勝城が監督に就任する。 |
タイトル | 首位打者:榎本喜八、最高出塁率:榎本喜八 |
カラーテレビ時代に対応しました。また桃太郎をモチーフにしたペットマークも登場しました。
甲子園準優勝投手で銚子商業出身の木樽正明が入団、成田、小山とともに先発3本柱を形成します。
1967年
着実なチームつくりの時期 ロッテオリオンズ誕生
監督:戸倉勝城・濃人渉
成績:5位(61勝69敗7分)
06.14 | 榎本喜八が1828本安打のパ・リーグ新記録を樹立する。〈対東映11回戦、東京〉 |
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08.01 | 戸倉勝城監督が解任され、濃人渉が監督に就任する。 |
タイトル | 盗塁王:西田孝之 |
1968年
着実なチームつくりの時期 ロッテオリオンズ誕生
監督:濃人渉
成績:3位(67勝63敗9分)
07.21 | 榎本喜八がプロ野球3人目の2000本安打を達成する。〈対近鉄17回戦、東京〉 |
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12.21 | 陸上100mの五輪代表、ロケット・スターター飯島秀雄が入団する。 |
タイトル | 打点王:アルトマン |
新外国人アルトマン、ロペスを獲得、また村田兆治もこの年に入団、投打ともに戦力が整ってきました。
また、飯島秀雄の入団はアイデアマンの永田オーナーらしい発想で世間を驚かせました。
1969年
着実なチームつくりの時期 ロッテオリオンズ誕生
監督:濃人渉
成績:3位(69勝54敗7分)
01.15 | 岸信介元首相の仲介で、株式会社ロッテとの業務提携が発表される。 |
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01.17 | 中村長芳がオーナー代理に就任する。 |
01.20 | 球団のニックネームを「ロッテオリオンズ」と改める。 |
02.01 | 5年ぶりに国内キャンプを鹿児島県指宿市で開始する。 |
08.16 | 成田文男がノーヒット・ノーランを達成する。〈対阪急14回戦、西宮〉 |
09.14 | 17試合連続のチーム本塁打を記録する。 |
10.10 | 延長13回、5時間15分のプロ野球最長時間試合を記録。〈対近鉄26回戦、日生〉 |
10.12 | 榎本喜八がプロ野球3人目の2000試合出場を達成する。〈対南海26回戦、大阪〉 |
タイトル | 新人王:有藤通世、最優秀防御率投手:木樽正明 |
ロッテとの業務提携がなされロッテオリオンズが誕生したこの年のちにミスターロッテと呼ばれる有藤道世が入団、新人王を獲得し『ロッテは向こう10年3塁手を獲る必要がない』と言わしめました。3位ながら2年連続Aクラスとなりさらなる飛躍を感じさせた年でした。