1970年
チーム環境激変の中リーグ優勝2回と日本一に!
監督:濃人渉
成績:優勝(80勝47敗3分)
09.09 | イースタンリーグで6年ぶり4回目の優勝が決定する。 |
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10.03 | 有藤通世が20号本塁打を打ち、史上初となる同一チームから5人の20本塁打者が誕生する。〈対南海24回戦、大阪〉 |
10.07 | 対西鉄26回戦に2万6000人のファンが詰めかけ、10年ぶりの優勝を決める。〈東京〉 |
10.31 | 日本シリーズ第3戦に浩宮様とご学友が、吉田義男の解説で観戦される。〈東京〉 |
11.07 | 初の韓国遠征を行う。 |
タイトル | 最優秀選手:木樽正明、最多勝利投手:成田文男 |
3人で62勝の木樽、成田、小山の投手3本柱と本塁打5人衆と呼ばれた池辺、山崎、有藤、アルトマン、ロペスに加え、シーズン中に移籍の江藤慎一らの強力打線で10年ぶりのリーグ優勝を達成、東京スタジアムに東京音頭が鳴り響きました。
1971年
チーム環境激変の中リーグ優勝2回と日本一に!
監督:濃人渉・大沢啓二
成績:2位(80勝46敗4分)
01.02 | 永田雅一オーナーが球団をロッテに譲渡、オーナーに中村長芳代理オーナーが昇格する。 |
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03.01 | 千葉UHFテレビが、東京スタジアムでのロッテ公式戦全試合完全中継を決定する。 |
03.19 | 球団事務所を新宿区に移す。 |
05.11 | 球団通算1500勝を達成する。〈対西鉄4回戦、東京〉 |
05.30 | 成田文男がパ・リーグの投手として2人目の満塁本塁打を記録する。〈対東映8回戦、東京〉 |
06.04 | 醍醐猛夫が対東映10回戦に引き続き、11回戦でも本塁打を打ち、4打席連続の日本タイ記録を樹立する。 |
06.19 | 小山正明が史上2人目の3000奪三振を記録する。〈対西鉄12回戦、平和台〉 |
07.13 | 江藤慎一の三振をめぐって紛糾し、史上10度目の放棄試合となる。〈対阪急10回戦、西宮〉 |
07.23 | 濃人渉監督を更迭し、大沢啓二2軍監督が1軍監督に昇格する。 |
08.03 | 20試合連続チーム本塁打の日本新記録を樹立する。〈対東映15回戦、東京〉 |
08.05 | 江藤慎一がプロ野球6人目の300号本塁打を記録する。〈対東映17回戦、東京〉 |
08.14 | 山崎裕之がサイクルヒットを達成する。〈対東映戦〉 |
09.24 | 有藤通世が25号本塁打を打ち、チーム通算184本塁打の日本タイ記録を樹立する。〈対南海25回戦、東京〉 |
タイトル | 首位打者:江藤慎一、最多勝利投手:木樽正明、最高出塁率:江藤慎一 |
貯金34も2位に甘んじリーグ優勝を逃したシーズンも記録とタイトルのラッシュとなり江藤慎一は史上初の両リーグでの首位打者を達成しました。放棄試合をしたとして、濃人監督更迭のあとを受けた大沢啓二監督がよくチームをまとめあげ、首位阪急を猛追撃したシーズンでもありました。
1972年
チーム環境激変の中リーグ優勝2回と日本一に!
監督:大沢啓二
成績:5位(59勝68敗3分)
01.16 | サンフランシスコ・ジャイアンツのジョンソンと浜浦徹との日米初のトレードが実現する。 |
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06.16 | 小山正明が310勝を挙げ、金田正一に次ぐ史上第2位の勝利数となる。〈対近鉄9回戦、西京極〉 |
07.01 | 山崎裕之が二塁手連続無失策守備機会を272機会とし、パ・リーグ新記録を樹立する。〈対東映13回戦、後楽園〉 |
07.04 | アルトマンが5人目となる8試合連続打点のリーグ新記録を樹立する。〈対南海13回戦、大阪〉 |
11.07 | 金田正一が監督に就任する。 |
11.22 | 重光武雄ロッテ社長は、東京球場の買収を断念する。 |
榎本を西鉄へ、江藤を大洋へトレードし、守りを強化して臨んだシーズンも5位に低迷。
シーズン終了後400勝投手で絶大な人気を誇った金田正一氏の監督就任が決定しました。
1973年
チーム環境激変の中リーグ優勝2回と日本一に!
監督:金田正一
成績:前期2位(35勝27敗3分)
後期2位(35勝22敗8分)
01.23 | 重光武雄ロッテ社長が球団オーナーに就任する。 |
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05.03 | 対太平洋3回戦の7回、ロッテの大量得点に対してスタンドからビンやカンなどが投げ込まれ、試合が9分間中断する。〈川崎〉 |
05.22 | 準フランチャイズの県営宮城球場での初試合、対近鉄8回戦に勝利する。 |
06.01 | 対太平洋4回戦でファンが騒ぎ、ナインは試合後も球場から出ることができず、機動隊が出動する騒ぎとなる。〈平和台〉 |
07.11 | 弘田澄男がプロ野球史上27回目のサイクルヒットを達成する。〈対日拓12回戦、神宮〉 |
10.10 | 八木沢荘六がプロ野球13人目の完全試合を達成する。〈対太平洋12回戦、県営宮城〉 |
タイトル | 最多勝利投手:成田文男 |
パ・リーグが前期、後期の2シーズン制となったシーズン。
金田新監督のもと、行く先々で大人気となり、特に前期優勝のかかった神宮球場での試合にはファンが殺到。入場しきれないファンが球場を取り巻き、中継車のモニターに一喜一憂、テレビ局も急遽放送するほどのフィーバーぶりでした。
本拠地東京スタジアムを失い、仙台を準フランチャイズとしながら各地で主催試合を行う苦しい時代の幕開けでもあり、「ジプシーロッテ」などと揶揄されることもありました。
1974年
チーム環境激変の中リーグ優勝2回と日本一に!
監督:金田正一
成績:前期2位(31勝27敗7分)
後期優勝(38勝23敗4分)
01.21 | パ・リーグの理事会で、ロッテの本拠地の県営宮城球場が地方球場扱いから外れることが決定する。 |
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08.28 | 弘田澄男がプロ野球史上初のランニング満塁本塁打を記録する。〈対南海8回戦、県営宮城〉 |
10.09 | 阪急とのプレイオフに3連勝して、リーグ優勝を決める。 |
10.23 | 日本シリーズ対中日第6戦に3-2で勝利し、24年ぶり2度目のシリーズ選手権を獲得する。〈中日〉 |
10.24 | 東京の外堀通りで観衆200万人ともいわれる優勝パレードを行う。 |
タイトル | 最優秀選手:金田留広、最多勝利投手:金田留広、新人王:三井雅晴 |
プレーオフを制しリーグ優勝、そのまま日本シリーズでも中日を破り24年ぶりの日本一の座に輝いた。シーズンMVPの金田留広は金田監督の実弟でもある。日本シリーズのMVPは弘田澄男が獲得し小兵の弘田を称し「チビッコ最優秀」ともてはやさされました。
また、日本シリーズの最後のマウンドは村田兆治が仁王立ちしマサカリ投法からの剛球とフォークボールに日本中が驚愕しました。