1980年
前期優勝2回・・・新ミサイル打線の時代
監督:山内一弘
成績:前期優勝(33勝25敗7分)
後期3位(31勝26敗8分)
05.28 | 張本勲が本塁打によって史上初の3000本安打を達成する。〈対阪急11回戦、川崎〉 |
---|---|
06.07 | イースタンリーグ対日本ハム戦で落合博満が5試合連続本塁打の新記録を樹立。 |
06.27 | 対日本ハム13回戦に勝ち、近鉄が敗れたためロッテの前期優勝が決定する。 |
07.03 | 川崎市内を優勝パレードする。 |
09.28 | 張本勲が王・野村に次ぐ史上3人目の通算500号本塁打を打つ。〈対近鉄10回戦、川崎〉 |
10.18 | 後期優勝の近鉄とのプレイオフに3連敗を喫して、年度優勝を逃す。 |
11.07 | 日韓親善のためにソウル遠征に出発する。 |
タイトル | 首位打者:L.リー |
巨人から移籍の張本勲の3000本安打に沸いた前期、見事に優勝、惜しくも再びプレーオフに敗れたものの、リー兄弟、有藤白仁天、に加え新鋭の落合博満、らを加えた「新ミサイル打線」は見るものを魅了、久しぶりに打のオリオンズが帰ってきたシーズンでした。
1981年
前期優勝2回・・・新ミサイル打線の時代
監督:山内一弘
成績:前期優勝(35勝26敗4分)
後期3位(28勝31敗6分)
06.03 | 対近鉄10回戦で村田兆治が完投勝利して、開幕10連勝の球団新記録を樹立する。(6月7日に11連勝、6月16日に連勝はストップ) |
---|---|
06.24 | 対西武12回戦で高橋博士のサヨナラ安打によって前期優勝が決定する。 |
10.13 | 後期優勝の日本ハムとのプレイオフに1勝3敗1分で敗れ、年度優勝を逃す。 |
10.29 | 山内一弘監督が辞任する。 |
タイトル | 首位打者:落合博満、最多勝利投手:村田兆治 |
落合が首位打者に輝くなど「新ミサイル打線」が爆発、前期優勝を達成、前期後期通算1位の成績ながら三度プレーオフに破れることとなってしまいました。
1982年
前期優勝2回・・・新ミサイル打線の時代
監督:山本一義
成績:前期6位(23勝36敗6分)
後期4位(31勝33敗1分)
05.08 | 有藤道世がプロ野球14人目の300号本塁打を記録する。〈対日本ハム8回戦、後楽園〉 |
---|---|
10.09 | 対南海13回戦で落合博満が32号本塁打を打ち全日程終了。史上4人目(5度目)の三冠王が決定する。 |
タイトル | 最優秀選手:落合博満、首位打者:落合博満、本塁打王:落合博満、打点王:落合博満、最高出塁率:落合博満 |
山本一義新監督を迎えたシーズンエース村田を肘の故障で欠き、前期は最下位に低迷、そんな中話題は3冠王を獲得した落合に集まったシーズンでした。
1983年
前期優勝2回・・・新ミサイル打線の時代
監督:山本一義
成績:6位(43勝76敗11分)
10.25 | 山本一義監督の解任を発表する。 |
---|---|
11.16 | 新監督に稲尾和久が就任する。 |
タイトル | 首位打者:落合博満 |
エース不在の投手陣が苦しい中、打線も集中力を欠いてしまい12球団で唯一喫したことのなかった最下位に球団創設33年目にして転落してしまいました。
1984年
前期優勝2回・・・新ミサイル打線の時代
監督:稲尾和久
成績:2位(64勝51敗15分)
05.29 | 対近鉄11回戦で仁科時成は9回二死から初安打を打たれ、1983年8月20日の近鉄戦に次いで2年連続して最後にノーヒット・ノーランを逃す。 |
---|---|
10.18 | ロッテ・ジャイアンツとの親善試合のために渡韓する。 |
タイトル | 最優秀勝率投手:石川賢 |
稲尾和久新監督の下、2年目石川賢の活躍、また巨人からは山本功児が移籍、投打がかみ合い前年の最下位から2位に躍進しました。