1995年

マリーンズ激動の時代・・・

監督:ボビー・バレンタイン

成績:2位(69勝58敗3分)

03.17 重光昭夫取締役オーナー代行が代表取締役に就任する。
07.24 福岡ドームで阪神大震災復興チャリティー・ドリームゲームが行われる。
08.19 1983年のリーグ1シーズン制導入以来、最速の50勝到達。〈対日本ハム20回戦〉
10.06 パ・リーグの全日程が終了し、10年ぶりのAクラス第2位となる。
10.17 バレンタイン監督の解任と江尻亮ヘッドコーチの新監督就任を発表する。
タイトル 最優秀防御率投手:伊良部秀輝、最多奪三振:伊良部秀輝、打点王:初芝清

広岡達郎GMのもと、バレンタイン監督を招きユニフォームも一新されたシーズン、整備されてきた投手陣、新外国人投手エリック・ヒルマンや打者フリオ・フランコらとともにバレンタイン監督の下チーム一丸となって戦って2位の成績を残し、印象の深いシーズンとなりました。

1996年

マリーンズ激動の時代・・・

監督:江尻亮・(江藤省三)

成績:5位(60勝67敗3分)

01.10 1996年のスローガンが「ONE AT A TIME」(一つ一つを大切に)に決まる。
03.30 14年ぶりの本拠地開幕戦を勝利で飾る。〈対ダイエー1回戦〉
08.23 江尻監督が精密検査のため緊急入院し、江藤省三ヘッドコーチが監督代行を務める。
08.30 球団創設以来の通算3000勝を達成する。〈対西武21回戦、西武〉
08.31 対西武22回戦に勝利し、12年ぶりの対西武戦勝ち越しを決める。〈西武〉
09.18 イースタンリーグで1970年以来26年ぶり5回目の優勝が決まる。
10.09 広岡ゼネラル・マネージャーが辞任する。
10.10 江尻監督の辞任を発表する。
10.14 金親良吉球団社長と近藤昭仁新監督の就任を発表する。
タイトル 最優秀防御率投手:伊良部秀輝、最優秀救援投手:成本年秀

広岡達郎GM体制2年目として、前年度の好成績から優勝の期待がかかったが、新たに獲得した新外国人打者の極端な不振などもあり思うような成績が残せず、結果的に広岡達郎GMの辞任という結果を招いてしまいました。

また、熱心なマリーンズファンの応援が注目を集めるようになったのもこの頃からのことです。

1997年

マリーンズ激動の時代・・・

監督:近藤昭仁

成績:6位(57勝76敗2分)

01.13 重光オーナー代行が、サンディエゴ・パドレスのラリー・ルキアーノ社長と業務提携を発表する。
04.05 小宮山悟が無四球完封で開幕戦勝利を飾る。(1989年、村田兆治以来の球団史上2人目)〈対日本ハム1回戦、東京ドーム〉
05.22 河本育之が11連続セーブポイントの球団新記録を樹立する。〈対近鉄8回戦、千葉マリン〉
07.06 試合前に球場企画によるグラウンドでの結婚式を実施する。〈対オリックス15回戦、千葉マリン〉
07.20 球界で初めて日曜日だけの特別な帽子「サンデーキャップ」でプレイする。〈対ダイエー18回戦、千葉マリン〉
09.11 小坂誠がプロ野球新人盗塁新記録の46盗塁目を達成する。〈対オリックス21回戦、グリーンスタジアム神戸〉
10.12 新人で全試合出場の小坂誠が球団新の56盗塁を達成する。〈対ダイエー最終戦〉
タイトル 新人王:小坂誠、最優秀防御率投手:小宮山悟

近藤昭仁新監督が就任。伊良部秀樹のメジャー移籍、エリック・ヒルマンの移籍などがあり、先発投手陣が苦しい展開の中、ストッパーの成本年秀をも故障で欠く厳しいシーズンとなりました。そんな中でルーキー小坂誠の新人王獲得は明るいニュースとなりました。

1998年

マリーンズ激動の時代・・・

監督:近藤昭仁

成績:6位(61勝71敗3分)

01.08 ロッテ浦和球場近くに、ハイテク管理の球団寮が完成する。
01.12 1998年のスローガンが「PLAY HARD '98」に決定する。
07.04 対ダイエー11回戦に敗れ、15連敗。20年ぶりのリーグタイ記録となる。〈千葉マリン〉
07.05 対ダイエー12回戦に敗れ、16連敗でプロ野球記録に並ぶ。〈千葉マリン〉
07.07 対オリックス13回戦、黒木知宏の力投もむなしくプロ野球記録の17連敗。〈グリーンスタジアム神戸〉
07.09 対オリックス15回戦、小宮山悟の意地の完投勝利で18連敗から脱出。〈グリーンスタジアム神戸〉
10.08 近藤監督の退団を発表する。
10.13 新監督に山本功児2軍監督の昇格を発表する。
タイトル 盗塁王:小坂誠、最多勝利投手:黒木知宏、最優秀防御率投手:黒木知宏

悪夢の18連敗を喫したシーズン。18連敗がありながら借金10の成績に踏みとどまるも順位は2年連続最下位となってしまいました。連敗中のマリーンズファンの応援とエース黒木知宏の奮闘ぶりは多くの人の感動をよびました。

1999年

マリーンズ激動の時代・・・

監督:山本功児

成績:4位(63勝70敗2分)

01.20 1999年のスローガンが「FOR THE TEAM」に決定する。
03.25 株主総会で金親良吉球団社長の退任を決定する。
04.07 チーム新記録となる1イニング11得点を記録。〈対ダイエー2回戦、北九州〉
タイトル 最優秀救援投手:ウォーレン

長らくマリーンズでコーチ、2軍監督などを務めた山本功児監督の就任により、ファームで成長を遂げた選手の活躍が目立つようになりチームが活性化したシーズンでした。

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